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2011.
09.
02
18:03:37
冷たくなった頬を
何度も何度も触って そこに命がないのを確かめた 納骨の日は 雨だった 濡れそぼった坊さんの袈裟の色や 墓石に流れる雨粒のひとつひとつを 今もまだ鮮明に覚えてる 哀しみは薄れたように見えても 時々激しく襲ってくる 波のように どんなに悲惨なニュースが流れても これ以上の哀しみなど無いと思えるのに よく見れば世間のニュースは やはりそれ以上の絶望に満ち満ちていて 自分の不幸の上に 他人の不幸を塗り重ねながら ただ、波が遠ざかるのを待つ それが一種の救いのようでもあり あの大津波に 何もかも持って行かれ 愛するものを失った漁師は それでも海を毎日見ていた ただ、ただ、寂しそうな目で 激しい怒りはそこにはない ただ、深い鎮魂が、祈りがあるだけだ 全てを奪った魔物だと知りながら 海を見つめるその眼の色は静かだ 命の根を 絶やさないように 深く、深く地中の中に伸びていけるように じっと、黙って耐えている きっと 数え切れないほどの人がそうしてる この小さな国のあちらこちらで そんな秋の始まり
2011.
08.
19
17:13:32
田舎の同級生が自殺しました。
もう、1年になりますが、時々まだ心のあわ立ちを 押さえ込むことが出来なくなります。 同級生といっても、全校生徒100名にも満たない小さな 小学校でしたので、クラスメイト全員が幼馴染のような ものです。 彼はあたしの初恋の相手でした。 小学校4年から中学を卒業するまでの間、ずっと 片思いでした。思いを告げることも無く、ただ遠くから 見つめているだけの淡い恋でした。 先日、帰省した際に、彼の生家にお線香をあげに 行きました。幼かった頃、彼の姿を一目見たくて 訪れていた家に、初めて足を踏み入れました。 娘を連れて行くと、お姉さんが「小さい頃の●●ちゃんに そっくりや〜」と言ってくれました。 彼のお母さんや、お姉さんと、昔話をしているのが なんだか不思議なことのようでした。 多分、彼の死がなければ一生話すことも無かったでしょう。 高校を卒業して、何度かみんなで遊んだけど、もうずっと 何年も会っていなかった。お互い結婚し、子供を授かり 幸せな人生を送っているものとばかり思ってた。 一緒にお線香を上げにいった友人が、彼の書いた手紙を 持って来ていました。読ませてもらったら、あたしの名前も そこに書いてあって、高校を卒業して、慣れない地で働き 始めた生活の中で、こうやって同級生と繋がりを持てている のが嬉しいと書かれていました。 彼の家を後にすると、8月の太陽が容赦なく降り注いでいた。 去年の夏の終わりも、きっとこんな暑い日だっただろう。 彼が首を吊っていたという雑木林をあたしは知らない。 最後の瞬間に一体そこで何を考え、一線を越えてしまったのか その絶望の深さを想像することさえ出来ません。 木にくくり付けたロープの白い輪っかの先に見えたのは 恐怖だったんだろうか、それとも安らぎだったんだろうか。 親や妻や子を残し、それでも旅立たねばならなかったのだろうか。 発見された時、足と地面の間にはわずか数センチの隙間しか無く 遠目で見たら首を吊ってたようには見えなかったという。 触れられそうで、触れられない、その数センチの空白が 彼を永遠に届かない場所へ連れ去った。 哀しいことがあったら、空に向かって大きなマルを描いてね。 その輪っかの中に哀しみをぜんぶぜんぶ送り込んでやるの。 そうすると、ほら、ちょっとだけ気分が楽になるのよ。 たった一言でいい。その時の彼にそう伝えてあげたかった。 例えそれが無駄なことだと知っていても。 空のきれっぱしを、その瞳の中へ映してあげたかった。 ご冥福をお祈りいたします。
2011.
08.
10
15:07:27
「また課金した」
なんていう話をすると決まって言われる言葉。 「形の無いものにお金を費やすなんてもったいない」 ただ、あたしは実体験から学んだことがあった。 母が死んで、実家の整理をしていたら 出てくるわ出てくるわかつて母の持ち物だった品々。 実家の押入れの7割り程を占めていた品物が 全て母親のものだった。よそ行きなどの服や 着物などの一部を残し全て処分したら、ずいぶん タンスの中がすっきりしたものだ。 思い出の品や、一部手放せないものもあるだろう。 だけど、着る人がいなくなってしまえば、ほとんどの 衣服はただの廃棄物となるしかない。 なぜなら、所有者以外にその物に対しての思いいれ など、見出せるはずもないからだ。 そういう経緯があって、 あたしは今回の引越しの際、かなりの物を捨てた。 まだ全然着られる洋服もたくさんあった。 だけど、生活をする上で、人はそれほど多くの物を 必要としない。買うときは一瞬の満足感を覚えたし その時は欲しかったものだけど、実際には着ない服 なんかもたくさんあった。もったいないと思いながら 捨てれずにいたものを今回思い切って捨てることが 出来たのも、母の死で学んだ事の一つかもしれない。 物を捨ててしまうとすっきりした。家の中が整然と片付くし 欲しいものがすぐ見つかる。埋もれたままで、探すのも 億劫だったものが再び光の元に出てきたという感じ。 そう、どんなに集めていても、形に見えるものは何一つ あの世には持っていけない。そして、それを失ってしまう ことなんて、本当に一瞬の出来事なんだ。 死や、あるいは災害によって、 人はあっけなくそれを失ってしまうものだから。 母が生前集めたものは薄情な娘の手によってあっけなく廃棄され 全て残らなかった。だけど、残ったものも確かにある。 それは、あたしや、弟たちや、父の心の中に いつまでも生き生きと輝き続ける。 母がかつて確かに存在し、あたしたちとかかわり、 そして与えてくれたもの。それはずっとこれからも残るだろう。 あたしたちが存在している限り、ずっと。 実際今は、リアルの服の数倍のお金を課金に使ってるけど その時の楽しい時間のためにお金を払っていると思えば もったいないという感じにはなれないかな。 ブランドのバッグが買えるじゃん、と人に言われても 別にそんなもの欲しくもないしねw いつかは、そういうことにもすっかり飽きて 「やっぱりもったいなかったなぁ」と思うのかもしれない。 でも、その時楽しかったんだから、いいんです、はい。 でもまぁ、はたから見たら、 旦那がパチンコに費やしてるお金を「もったいない」とあたしが 思うようなものなんだろう。彼は彼なりに資金を投入して ハラハラドキドキする高揚感をお金を出して買っている んだろう・・・・(と思うことにする。)時々勝ったとしても結局 おいしいもの食べに行ったりして消えてしまうので 残らないものだしね。ある意味似たもの夫婦w 原田宗典の「しょうがない人」という本を今読んでるんだけど その中に「メロンを買いに」という項目がある。 貧乏学生だった頃、食べたいと思っても手が届かなかった マスクメロンに対する思いいれのようなものを綴った文章だが 共感できる部分も多かったので「うんうん」と頷きながら 読んでしまった。 メロンを買う、という行為。 実際大人になってみると、それはそれほど難しいことではない。 自由になるお金が1万もあれば十分だ。だけど、メロンを買う なんて、普段はなかなか実行に移せない。 明らかに他の果物とは一線を画しているマスクメロン。 木箱に納められ、一番高い位置に飾るように置かれている王様。 子供の頃、おねだりしてもなかなか買ってもらえなかったメロン。 だけど、いつしか大人になり、いつの間にか私たちのポケットの中には すでにメロンが入っていたのに、それに気付かずに日常を過ごしていた。 そう、その気になりさえすれば、それはいつでも取り出すことができるのだ。 あとは右手で取るか左手で取るか、という方法論を考えるだけでいい。 著者は身重の奥さんが呟いた「・・メロンが食べたい」という一言で メロンを買いに行こうと決心する。まぁ、それがなかなかスムーズに行かない ところがこの本の面白いところでもあるのだけれどwそこは割愛しておきます。 どうでもいいが、今年の夏はまだスイカを食べてないなーw 今はメロンよりスイカが食べたいですww 追記: 以前、母の死について書いた日記にとても暖かいコメントをいただきました。 どんな言葉でお返ししても、この気持ちを表せそうもありません。 本当にありがとうございました。
2011.
05.
12
17:09:59
なにか、決定的なものが
損なわれてしまった気がする 東北地方代震災の一週間後、 母が死にました 最初のうちはは泣き暮らしたけれど 普通の生活が戻るにつれ だんだん涙を流す時間も減って行きました。 あれからまだ2ヶ月ですが、この2ヶ月間 本当に長かった 凝縮された時間の中で生きていました。 最近とくに思い出す小説のシーンがあって (特に母が死ぬ直前に読んでいたからかもしれないけれど) 「ダンス・ダンス・ダンス」(著:村上春樹) の中で、片腕の詩人「ディック・ノース」が交通事故で 死んだ後、その恋人だった写真家の「アメ」が 一ヵ月経っても茫然自失な状態で暮らしてるとき 主人公との会話中に「こんなはずじゃなかった」と アメが呟くシーン。 「忘れやすいタイプの女だし、忘れられやすいタイプの男」 だと主人公も思っていた。きっとこの女性は片腕の詩人の ことなんかすぐに忘れて自分の趣味(写真)のほうに没頭して しまうだろうと思ってた。だけど、実際はそうじゃなかった。 「死んだ後のほうが存在感がある」と主人公はディックについて語る。 生きているときは、毎日をつましく周りの人の生活をこまごまと 手助けしながらひっそりと生きている人物が、失われたとたんに 残された人たちにその存在の大きさを実感させる。 いつもいると思って当然だった人が、突然居なくなった時の喪失感は 身近にいる人にしか決して理解できないのだろう。 そういう感情は理解できる。精神的な支えも確かに必要だとは思うけど 物質的な手助けや、身の回りの世話をしてくれた人の喪失は その後の自分の生活に大きく関わってくるものだから、一層なのだと思う。 だけど、実際あたしが感じている喪失感は ちょっと違うような気がする。母は割りとこまごまと動き回る人だったので いろんな人の世話を焼いていたから、そういう人たちにとってはまた違った 哀しみがあるのだとは思うけれど。 「だんだん悲しみは減って行った」なんて言うと 薄情な娘だと思われるかもしれない。あたしはアメと一緒で きっと「忘れやすいタイプの女」なんだと思う。 哀しみも、喜びも、怒りも。ありとあらゆる感情が長続きしない。 実際の生活が多忙だったこともあり、母に手を合わせていない朝が あることに気付いたりする。だけど、そういう生活とは別に あたしは自分の中から何か決定的なものが損なわれてしまったと いう感情が消えない。既に失われてしまったものだから、それが 何だったのか思い出せないような、そんな感じ。 あたしは、あたしを探しています。あれからずっと。 失われてしまった自分自身を。 だけど人は、自分探しのために砂漠には行かないんです。 砂漠に行った人間は、自分を見失いたいから行くんです。 ずっと昔から、きっとそうなんです。 だからあたしはここにいることしかできないんです。 ここで、探しながら、生きて行く事しか。 あたしがかつて確かに感じていた、 怒りや、喜びや、哀しさ、愛さえも 今はあたしの中のどこにも見つかりません。 寂しいと思うことも 夕暮れの空を見て切なくなることも、 きれいな景色を誰かと分かち合いたいと思うことも 道端の草花を写真に撮ることもなくなりました。 記憶力や、日常のちょっとしたこと (スケジュールの確認や簡単な計算など) もうまく出来ないことさえあります。 なのに、ある場面では誰も記憶にとどめていないような 事を鮮明に思い出したりします。 思考回路が混乱している気がします。 発作的に身の回りのものを捨てたくなってます。 (実際捨ててます。自分のものだけじゃなく、 母の衣類やバッグも全て捨てました。否、母のものを 捨てたことで自分の物も捨てたくなった気がする。 どんなにたくさんあってもそれを着る人がいなければ 無駄だと知ったし、物に対してどんなに思い入れがあっても その感情は自分だけのもので、当人が死んでしまえば誰も気付かない。 そしてそれはある日突然やってくるものだから) こんな状態で誰かの気持ちを慮ったり、思いやったりする 余裕はありません。だから、きっと傷つけてしまっている 人がいると思います。 今、あたしという容器の中はからっぽです。 ふたを開けてみても「なんだ、からっぽか」と幻滅されるのが 怖くて、人と深く関わることができません。 そして、こういう状態がいつまで続くのか想像できません。 あるいはずっとこのままかもしれないし、 あるいは明日にでもすっかり元通りかもしれない。 そういうものは本人を含め、誰にだって分からないし 変えようと思っても変えられるものではないものだと思うのです。 そしてそれは、死んだ人を悲しむ気持ちとは別個のもので 時間が解決してくれるタイプの感情ではないような気がするのです。 「死んだ人はずっと死んだままだから それについて急いで思い悩んだりする必要は無い」 と村上春樹も言ってます。 もっと早く倒れているのに気付いてあげればよかった。 もっと親孝行をしたかった。 もっと話しておきたかった。話したいことがあった。 孫の制服姿を見せてあげたかった。 だけどいくら後悔したってもう遅いしどうにもなりません。 そしてそれは時間と共に風化していくタイプの哀しみです。 母の死自体はそうやって乗り越えることが出来るかもしれない。 だけど、今からっぽだと感じている自分を 何で満たせばいいのかという恐れは 乗り越えられるタイプのものかどうか想像もできません。 かつて好きだった恋人を失った時 あたしの中で大事に育てていた一輪の花を失いました。 その時もあらゆる感情が一時的にストップしたけれど 「寂しい、哀しい、誰かに助けて欲しい」 と思う感情までは消えなかった。 だけど、今回は全てが消えました。そしてそれが 母の死によってもたらされたものかどうかも分かりません。 決定的に損なわれたものの正体が何なのかも分かりません。 失ったものが何だかも分からずそのために悔やむくらいならいっそ 損なわれてしまったことさえ気付かなければいいのにと思います。 そうなれば、きっと楽になれると思う でもそうなるとそれはきっとヒトとしての機能を失った 「何ものか」になるしかないんでしょうね。 それはきっと人が鳥になりたいと願うようなもの。 ふと昔読んだ詩の一部を思い出しました(うろおぼえ) 「鳥は空がどうして青いかを知らない だから、空は鳥のものなのだ」 翼を持たないあたしたちには 空の青さを説明するだけの知識が与えられた 空を自由に飛ぶ鳥を見て、幸せそうだとヒトは言う だけど、鳥は幸せなど感じたりしない 幸せはヒトの心の中にある 心の中にしか存在できないのだったら 目に見えるものをかき集めることにどんな意味があるんだろう ものをすっかり捨ててしまってから思ったこと。 これからは、 消えてしまうもの 残らないもの かさばらないもの に、お金を使いたいと思います 食べるもの 誰かにあげるもの データ系 はいいね。うん。 見えないものでも、心の充実は図れるし 自分がいなくなった後、自分の物を処分する人間の 手間も省けます。 「死んだ後残るのは、集めたものではなく 人に与えたものである」と何かで読んだっけ。 実際溜め込んだものたちは残された人の手によって 全て処分されました。 だけど、決して消えないものもあります。 そう、たしかに。
2011.
03.
14
16:31:23
日にちが経つにつれ、大地震の被害の大きさが
徐々に伝わってくるようになりました。 地震当日は夕方のテレビの情報を見て、被害者60名余り などと出ていましたので、大きな地震の割には被害が少ない のかな?と割と楽観的に考えていました。 某サイトにおけるイベントを敢えて強行したのも、 その辺りの楽観視によるものが大きく、今考えれば 数ヶ月延ばしてでも延期したほうが良かったのかもしれません。 それによって、不快感を抱かせてしまった方々には心よりお詫び いたします。私の軽率な判断でお心を傷つけてしまったこと、 大変申し訳ありませんでした。 普段テレビ等全く見ない私でも、ここ数日間はテレビのニュース 映像などを見て、被害状況などを把握するようにしています。 色んなブログや、ツイッターなどのページも見てみました。 皆一様に自分に出来ることは無いかと考えてます。 救援物資を送りたいのに、行政の許可が出ないからと 受け付けてもらえない。現場はあんなに物資が足りないと言っている のにもかかわらず・・・そんな怒りの声も聞こえてきます。 「パチンコ屋は営業をやめろ、電気の無駄使いだ」とブログのコメントで 怒ってる人もいました。だけど、パチンコ屋だって従業員を食べさせて 行かなくてはいけないんです。震災被害者の痛みを考えていたって 営業をしないわけには行かないでしょう?企業だって、余分な看板の 電気を消して運営するとか、自社で出来ることはやってます。 誰かを責めたくなる気持ちは分かりますが、回りに不満をぶつけるより 今自分に出来ることを考えて行動して欲しいです。 私が勤めている会社はパチンコ屋ではありませんが、同じ風俗営業法 の管轄下にあるサービス企業です。 社長も、従業員も今自分に何が出来るかを一生懸命に考えて 話し合っています。とりあえず、店内の拾得金数万円といくらかを足して 寄付金とすることを決めました。寄付金も、民間団体ですとどのように 使われているのか分からないという実態もあるそうです。 例えば有名人にしたって、黒●●子さんは自分の取り分は取らず全て 寄付するが、●●ネス・チャンは寄付金のうち25%をマージンとして受け取って いるという話を聞きました。情報が真実かどうかは分かりませんが、 寄付したお金がちゃんと困っている人たちへ反映されて欲しいと願うのは 誰もが同じ気持ちだと思います。 私は経理事務なので会社の実態も分かってます。もうここ数年ずっと 赤字が続いていて、大変厳しい状態です。そんな企業だって、この事態に 何とか力になりたいと考えてる。 電力の制限にしたって、国民は理解してます。24時間電気も水道もガス も無く暮らしている人がいるのですから、一日の数時間くらい我慢したっていい。 それなのに経済産業省の会見で「朝の忙しい時間に電気を止められて、 死ねっていうんですか?」と食ってかかっていた記者のモラルの無さに唖然としました。 記者の質問が、そのまま国民の声だとは思って欲しくないと思いました。 今、被災者のために自分に出来ることなど限られています。 だけど、国民の一人一人が今自分に出来ることを考えて行動することが 今は大事な時期だと思います。 自分は安全な場所に居て、溺れかけている人に「がんばれ」と言っている。 偽善?大いに結構じゃないですか。 何もしないで誰かを責めている人よりはずっとマシです。 私が運営するサイト「nico*list」のぷちカンパ収入の全額を 東日本大地震被災者救援金として寄付することにしました。 寄付先団体については現在情報を集めながら検討中です。 決まりましたらサイトにてお知らせいたします。 カンパしてくださった方には何卒ご理解いただけますようお願いいたします。 http://nicotto.cokoa.net/
2011.
02.
05
16:54:52
おかあさん
おかあさん しみひとつなく きれいなカラダで産んでくれたのに 名前に「美しい」という字を入れてくれたのに ごめんなさい 美しく生きれなかった
2010.
12.
29
20:42:58
初めてあめふりろぼっとに逢ったのは小学校4年の時、
学校の帰り道だった。 その日は雨で、一月の冷たい雨で、 商店街を抜けた路地の入り口で コンクリートの塀の端っこで首をうなだれるようにして あめふりろぼっとは座っていた。その様子は まるで濡れそぼった捨てられた犬のようで 誰にも気付かれたくないような、でも、誰かに気付いて 欲しいような、悲しい光が目の奥に宿っていた。 「あめふりろぼっと」というのはあたしが勝手に付けた名前だ。 だって、雨降りの日に逢ったロボットだから。 そのまんまだよね(笑) そのまま見過ごして帰ろうかと思ったけど スナオ虫が耳元で「ちょっとおもしろそう」って 呟くのが聞こえたんだよね、その声を無視することが 出来なくて、うなだれているロボットの目の奥を じっと見つめてみた。あたしがしゃがみこむと、ちょうど あめふりろぼっとの顔を覗き込むような形になったから きっとあたしと同じくらいの身長だなと思った。 そんなに怖くは無かったよ。 だって、あめふりろぼっとの目はとても優しそうだったから。 最初の問いは覚えてない。 「どこから来たの?」だったかも「あなたはだぁれ?」 だったのかもしれない。だけど、あたしが問いかけたことで あめふりろぼっとが少しだけ動いたのを覚えてる。 長い長い冬眠のまどろみの中から、ふいに揺り起こされたような 一体何がおこったんだろうというような感じで。 首をちょっとかしげて、ゆっくりと顔を持ち上げた。 あめふりろぼっとのカラダは、ディープブルーの絵の具で3歳児が ぐちゃぐちゃに塗りつぶしたおもちゃが長い長い時間雨ざらしのうちに 色あせてしまったような青で、ところどころ錆び付いていて、 それはそれはお世辞にもキレイとはいえない青だったけど、 あたしにはそれがまっさらな青色に見えて、悪くなかった。 ぅん、そう。生物が死んで、肉体が風化されてカラカラの骨になったような感じ。 肉体は汚くて臭くて嫌味たらしくて嫌いだ。でも骨になってしまうとまっさらな 白で、そこには愛憎や欲やどろどろした感情なんかもう無くなって ただうつろに軽く、失ってしまった肉体をいとおしむように、ただ哀しげに ひっそりと存在している。そういう骨のケナゲさが好きだ、と思う同じ気持ちで あめふりろぼっとに好感を持ったんだ。あの時はうまく説明できなかったけれど。 長い長い時間、今思えばそれは数分の出来事だったかもしれないけれど あめふりろぼっとはその空ろな目であたしをじっと見ていた。 ううん。見ていたのかな?本当はわかんないや。あたしを通して、あたしじゃない 誰かを見ていたのかもしれない。たとえばスナオ虫を。そんな風に感じた。 あたしは自分のさしていた傘をあめふりろぼっとに差しかけてみた。 ロボットが風邪を引くことがあるのかな?わかんないけど、その時は そうすることがいいような気がしたんだ。 「どうもありがとうね」ではなく「これはなんだろう」という風にあめふりろぼっとは あたしのさし掛けた傘を少しだけ見て、また視線を戻した。だけど あめふりろぼっとは、あめふりなんて気にしていない様子だった。むしろ 降り注ぐ雨の中にいたいのではないか、と思った。 「なんだコイツ、なんもしゃべんないじゃん。ささ、帰って早くおやつ食べようぜ」という スナオ虫の声が聞こえる。あたしはそれを無視して、ただそこに座っていた。 そのうち、ただ座っているだけの状態に飽きてきた。 あたしにだっていろいろとやることはあるからね。 それにもう「ゆうやけこやけ」の時間。早く帰らないとママに怒られちゃう。 「じゃぁ、またね」あたしはそういうと、あめふりろぼっとに手を振った。 「じゃぁ、またね」それはまたいつか会える呪文。翌日も、その翌日も あめふりろぼっとはそこにはいなかったけど、あたしはきっといつかまた会えるって 思ってたんだ。そうだね、きっと・・・雨が降れば。 だけどその日から、なかなか雨は降ってくれたなかったんだ。 「雨だ」その日あたしは布団から飛び起きた。雨の匂い。 鼻につーんとくる、アスファルトに叩き付けられた雨粒が立ち上ってくる、 あるときには草いきれの中から匂いたつ土のような、あの雨の匂いだ。 あたしは昔から雨には敏感だった。 あめふりを待っている間感じたことがある。いつもは晴れた日の方が ダントツに多いんだってこと。ママは洗濯物が乾かないって文句言うけど 数え切れない晴れの日に感謝しなさい。こんな雨の日にはね。 そういうと「何よ、えらそうね」と言ってママは笑った。 ママが笑ってくれるとあたしも春先のリスのように嬉しくなる。 喜び勇んで学校へ向かう。いつもより30分も早い。 ゆうみちゃんといつも待ち合わせてる「タナカ木材店」の三叉路。 そこに行くまでにあめふりろぼっとに会わなくてはいけない。 だけどだけどだけど、あめふりろぼっとはあの場所にいなかった。 ガーン。ガーン。 もう、ショックのあまり口もきけなくって、いつも声かけてくれる マスダのおじちゃんにも「おはようございまーす」が言えなくて、 「タナカ木材店」の前でゆうみちゃんを待つ間もずっと うつむいて、もうコノヨノオワリみたいな顔をしてた(らしい) ゆうみちゃんがそう言ったんだ。「コノヨノオワリみたいな顔してるね」って。 その時は意味がよく分からなかった。ゆうみちゃんはいつもいっぱい本を 読んでいるから、ゆうみちゃんとお話をするのはいつも楽しくてすきだけど 時々訳の分からないことをいってあたしを苛立たせる。 黙っているあたしを気にしているのかそうじゃないのか、ゆうみちゃんは 独り言のようにこんなことを言った。 「5年になったらりゅうせいくんと同じクラスになれるかなぁ・・」 ゆうみちゃんはりゅうせいくんのことが好きだ。 あたしとりゅうせいくんが同じクラスなので、ゆうみちゃんは休み時間になると 遊びに来る。ゆうみちゃんがりゅうせいくんのことをしょっちゅう目で追ってて そのたびにあわてたり赤くなったりするのを見ているのがすきだった。 かわいいなぁって思うし、好きって感情がまだよく分からないあたしにも 少しの恋の切なさみたいなものを与えてくれる。だけど あたしはりゅうせいくんが嫌いだった。ゆうみちゃんの前では言えなかったけど。 りゅうせいくんは、日直のあたしが黒板を消しているとき 決まって横から落書きをしてくる。何度「やめて」って言ってもやめない。 あたしが好きなアイドルの話をしていても「けっ、趣味わりぃの」って 憎まれ口を言う。作文の発表の時、緊張してみんなの前で発表してる時、 「何いってるかわかりませーん」と横で言ってみんなをどっと笑わせた。 あたしにとっては自慢の出来だと思った作文だったのに。 胸の奥のほうから空気の塊が昇ってきて、息が詰まって苦しくて 目の奥が熱くなって、泣きそうになるのを我慢するのがせいいっぱいだった。 あたしが好きだというものをぜんぶ、けなされて、拒否されて、傷付いた。 すごく、すごく傷付いた。 そんな風に人を傷つけるりゅうせいくんが、あたしは嫌いだった。 朝から降り出した雨は、給食の時間になっても降り続いていた。 カミナリさまがきっと雨のスイッチを入れたまま、居眠りしているんだと思った。 下校時間になるころには雨足も一層強くなっていた。 「起きて!起きて!カミナリさま。もうそろそろスイッチ切ってもいいんじゃないの? 雨の在庫、なくなっちゃうよ?」 その日もりゅうせいくんから髪の毛を引っ張られて、お気に入りのヘアゴムの うさちゃんが取れちゃって哀しい気分になった。 あんなに待ち望んだ雨だったのにね、雨降りが嫌いになりそうだ。 傘を差して雨の中を歩き出すと、途端に強い雨粒が傘を激しく叩いて来る。 長靴をはいていても、後ろから水が入ってくるような気がして気持ち悪い。 朝、ウキウキした気分でお気に入りのソックスをはいてきたのを後悔した。 もっと小さい頃は長靴をはいて水たまりで遊ぶのが好きだったのに。 朝はあんなに雨の日を楽しむ気分でいっぱいだったのに。 あの気持ちは一体どこへ行ってしまうんだろう。 スナオ虫は出てこない。ほんっとにもう、気まぐれなんだから。 こんなときこそ、慰めなさいよね。 ゆううつな気分で商店街を抜ける。路地が見えてくる。 そして「・・・いた」 そこには、あめふりろぼっとがいた。 あめふりろぼっとは、コンクリート塀の、同じ場所で、やはり同じように 座っていた。だけど、今日は少し元気そうに見えた。目の中でちろちろと ほのかな光がちらついている。 「また、会ったね」今度はあめふりろぼっとのほうから話しかけてきた。 声はしずかで、ひくく、雨音に消されてしまいそうなくらい控えめだったけど あたしにはちゃんと聞こえた。 「うん」とあたしは言う。 「すまなかったね。せんじつは・・・・ちょっとびっくりしたんだ」 あめふりろぼっとはそう言った。せんじつ、の意味がすぐに呑み込めなくて ただオウム返しのように「びっくりしたの?」の聞いていた。 「そう」 そういったまま、あめふりろぼっとは静かにあたしを見た。 目は、相変わらず優しげだった。 「もう、なんねんも、誰ともおしゃべりしてなかったからね。ことばをうまく出せなかったんだ」 誰とも話せないということが、どんなに辛いことなのか、あたしにも分かる。 風邪引いて一日声が出ないだけでも、すっごく辛かったもん。 「また、きみにあえてよかった。次に会ったら謝ろうと思ってたんだ」 「雨が降ったら、また会えそうな気がしていた」とあたしは言った。そうだね、というふうに あめふりろぼっとは笑ってうなずいた。それであたしたちは友達になれた。 あめふりろぼっとに会えるのは雨の日だった。それも夕暮れが間近な時間帯しか あめふりろぼっとを見ることはできなかった。なぜだろう?雨の朝、あめふりろぼっとは 確かにそこにいたのに、あたしが気付かずに通りすぎていたんだ。 「きみがこっちをみて、そして通り過ぎたからきっと怒ってるんだと思った」と あめふりろぼっとは言った。 「どうして見えないのかなぁ?」 「よのなかには、見えているものの方がめずらしいからね」 あめふりろぼっとは当然のことのようにそう言う。そうかもしれないと思った。 虹が七色に見えるのは日本人だけだとママが教えてくれた。 同じ場所で同じものを見ていても、その人によって見え方は違うんだろう、きっと。 スナオ虫はどう思っただろう? 意見を聞きたかったけど、かんじんな時に出てきてくれない。 「解決できないことは、とりあえず箱の中にいれておくといいよ」 あめふりろぼっとはそう言った。「解決できないことのほうがだんぜんに多いからね」 あめふりろぼっとは、あたしの師匠だった。あめふりろぼっとが見えなくなってからもずっと 彼の言葉はあたしの中で息づいていた。彼がしゃべる、低くてしずかな声は あたしの中からずっと消えることはなかった。 あたしの中には、解決できないまま箱に入ったものたちが今もまだたくさんある。 でも、きっとそういうものだと思えた。それがあたしが生きていくってことなんだと。 学校で、あめふりろぼっとの話をしても、誰も信じてくれなかった。 ゆうみちゃんだけが「あたしも会ってみたいな」と言ってくれたけど、 それも本当に信じてくれていたかどうか分からない。 だから、あめふりろぼっとの事は誰にも話さなくなった。 りゅうせいくんなんか「おい見ろ、マツコが壊れたぞ!」と大声でからかったりした。 マツコというあだ名はりゅうせいくんがつけたものだ。他にはだれもあたしのことを 「マツコ」などと呼ばない。あたしの名前は「マツモト リコ」上と下をくっつけた だけの安易なあだ名で呼ぶ同級生を、あたしはにらみつけて無言の抵抗を 示すくらいしか出来なかった。 「なによ、マツコって、古臭い名前」 あたしが怒ってそう言うと、あめふりろぼっとは「そう?」と首をかしげた。 「ステキだとおもうけど」 「えーーどこがーー?!」スナオ虫がいたら一緒に「ゲー!」って 言ってくれるのにな。そういえば、スナオ虫はどこへ行ったんだろう。 (昨日からなにげに書き始めた物語。続き、また書いたらUPします)
2010.
06.
14
19:42:20
本当のことがいえて、
ちょっぴりホッとしました。 そうそう、最近、ツイッターを始めてます。 https://twitter.com/soulxcage しょーもないことをつぶやいているだけですが、 よかったらのぞいてみてください。 後日談 ツイッター、放置になってます(笑) 同じようなSNSですがNAVERはじめました。 http://naver.jp/koha%D1%8Fu ↑からどうぞ。
2010.
05.
31
18:52:41
かぜのないよる
しずかなよるに てにいれたものと てばなしたものたちのことをかんがえる だいじなものをてにいれるためには なにかひとつてばなさなきゃならないのよ とおかあさんはいった とてもかなしそうにいったので きっとなくしたもののことをかんがえて いるんだろうなとおもった だって てにいれたもののことは とてもたのしくおもいだせるはずだから
2010.
05.
31
18:42:54
伝えるすべがないと
きみが言う どんな言葉を並べても 届かないという かっこわるくなれなきゃ 真実は伝わらない 相手がどう思うか ではなく 人魚姫には声がなかったから 伝えたくても伝えられなかった きみには声があるのに |
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