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昨夜書いたのですが、UPするのを忘れていました。


村上春樹の昔の小説だった。おそらく「ダンスダンスダンス」あたりだったと思うが
ふと思い出した登場人物がいた。名前はよく覚えてない。「ディック」とかそんな
感じだったと思う。昔読んだ小説の場面が、急に思い出されたり、当時はなん
とも思わず見過ごしてきた内容が、何かをきっかけに急に「わかる」ということは
人生における醍醐味のひとつだと思います。
自分自身がそれを系統的に理解できるほど成熟したのだといえば聞こえはいいが
決してそうでもないと思う。ただ「わかる」んです。こういう感覚はちょっと人に
説明するのが難しい。

「ディック(仮)」は片腕の詩人として登場する。昔戦争で腕を失くしたという設定
だったと思う。元軍人とはいえ、彼は平和主義者で温厚で、一人の女性を一途
に愛していた。サンドイッチを作るのが得意で、家事全般が苦手なその芸術家の
女性の変わりに全ての家事をこなしていた。女も彼をそれなりに愛してはいたんだ
ろうと思う。でも、彼女の人生の中での最重要事項ではなかった。
彼女はディックからふんだんの愛情を与えられながら、その大切さに気づいていなかった。
そんな時、ディックが事故で突然死する。道端に飛び出た猫だったかなにかを
助けようとして轢かれたのだ。
死んだ後、この詩人は急に存在感を増す。それまでは控えめで目立たず、空気の
ように存在していた男が、いなくなったとたんに、彼女に圧倒的な喪失をもたらす
ことになる。一日中ぼんやりし、作品も作らず、ただ深い哀しみの底にいる彼女を
客観的な立ち位置から分析している場面。

作者はその小説の中で、死者をこんな風に表現した。

死んだ者はただ、ずっと死に続ける
死んだ者はもうそれ以上の喪失をもたらすことはない。
だいじょうぶ。100%死んでいる。

そして、恐らくは同じ意味で「過去」も、そんな風に存在し続けるのだと。

あたしは母が亡くなったとき、この小説を思い出しました。
当時書いた日記にも、この小説のことに触れた気がします。

今がどんなに辛くとも、これ以上の喪失をもたらすことは無いんだと。
忘れるのとは違う。ただ「受け入れる」事が出来れば、ずっと楽になります。
だいじょうぶ。100%死んでいるのだから、それ以上はもう何もおこらない。
この先途方もない、長い時間をかけて、考え続けて行けばよいのだから。

普段「死」はすごく遠くにあるような気がしてるけど、決してそうではなくて
近すぎて、気づかない。壁一つ向こうの出来事なんてまるで他人事で
でもちょっとしたきっかけで、親しい人の死をリアルに想像してしまう事もある。

いつ来るか分からない死に怯えながら一生懸命生きている者がいる一方で
生きながら無気力に人生を過ごし、怠惰のまま死に向かっている人がいます。
彼の口からは人の批判と愚痴しか出てきません。仕事をしない(出来ない)
言い訳に親や家族を引き合いにし、プライドだけは高く、何も生み出さず
誰からも愛されず、廃人のようにただ生きてます。
一度大喧嘩をしてから、一度も顔を合わせたことがありません。

だけどこんな夜には
日中の空が高くなって ふんわりとまあるい余韻が残るこんな夜には
少しだけ、思い出してしまうのです




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