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今日は友人Nについて語ろうと思います

「Nは、人の話をきかない」→時々暴走する
「Nは、思ったことをすぐ口にする」→時々人に嫌われる
「Nは、ピンクフィルターから抜け出せない」→周りが見えてない
「Nは、時々自信の無いことを自信たっぷりに話す」→時々反感を買う

以上はNが人から嫌われてしまう理由を分析したものです。親しくしてくださってる友人たちの中には、Nのいいところもたくさん見えていると思う。あたしが見えていなかった部分を「Nさんは人から誤解されやすいんだからね」と別の友人に言われてはっとすることもありました。いい方向にとらえれば、それだけ正直者であり、自分を隠そうとしていない裏表の無い人間だといえるかもしれない。それに、Nは目立ちすぎるんです。最初にNを知ったのも、当時彼がかなり目立った活動をしていたからでした。その頃は表面的な部分しか知らなかったので「ちょづいてるなー」って思って遠巻きに見ていたくらい。親しくなると、その人の誤解されやすい部分やダメな部分も見えてきます。でも、誰にだっていいところばかりじゃない。もちろん、あたしにだって欠点はたくさんあります。

誰しも、友人を選ぶものさしはあると思う。だけどこの人にだったら自分の弱い部分を見せてもいいかなって思える人って、実はそう多くはありません。
ものさしは人それぞれだから、たとえば
「趣味があう」「好きなものがいっしょ」「一緒にいて楽しい」で友人を選んでいる人も多いと思います。でも、あたしは今までの経験上、趣味があう人と仲良くなったことはあまりありません。そういう意味では、少し変わっているのかもしれない。あたしが友人を選ぶ(選ぶ、なんていうとおこがましいけど、この場合便宜的に使用させてください)のは、「その人の嫌いな部分を許容できるかどうか」が第一基準になります。人のマイナスな部分に触れたとき、あぁこのひとは無理だ、と思えるような人とは自然と距離と置くようになりました。人の負の部分に触れるときって、人が嘘をつくことにも似てて、その嘘の中にあるほんとうの気持ちに、自分自身が共感できるかどうか、にすべてはかかっているのです。

Nには、動力があります。エンジンを積んで、自分の力でものごとを動かそうという意思があります。
それが常にうまく行っているとは限りません(むしろマイナスに作用しているかも)それでも、なお
あたしは羨ましいと思ってしまうのです。そのエンジンに焦がれるのです。

風にのって器用に空を飛べても、パラグライダーは今以上の高いところへ突き進んでいくことはできません。そして大半の人間が、あたしと同じパラグライダー人間です。風に乗って、なんだか楽しげな気分なところへふらりと飛んでいく。受動的だから傷付くことも、傷つけられることもそうそうありません。なんだつまらないじゃないかと思えばまたふらりと違う場所へ飛んでいけばいい。そのくせ、文句や批判はちゃんと言ったりします。

Nの置かれてきた境遇を考えると、自分を大きく見せようとか、なめられないようにと気勢を張ることでしか自分自身を保って来れなかった内情も想像はできます。だから前述のようなNの傾向を見ても、理解できる(容認できる)部分もあります。それを想像して慮るのは、同情だと思う人もいるかもしれない。だけど、あたしはそもそも人に同情するような優しい人間ではありませんし、おそらく人全般という概念にあまり興味を持ってません。そんなコミュニケーション能力のかけらもないあたしが、ある意味自分が大切にされているという感覚を知らないまま大きくなったであろうNに、どのようにしてその気持ちを伝えていいのかわかりません。
Nのような人物たちは、自分の思うままに飛ぶことで、その寿命を縮めたり、安定をあきらめたりすることがあるかもしれない。でもたぶん、そういう人って、そんな風にしか生きれないんだと思います。だから、周りの人間はハラハラしながら、落ちないようにと祈ることしかできない。そういうのって、運命(さだめ)と言ってもいいのかもしれない。とりあえず、Nはそんな風に生きてます。

つまりなにがいいたいのかというと、

「しゃーなしやな」

ってことなんです。しゃーないですねもう。


今年もあとちょっと。みなさまよいお年をおむかえください。


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