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名前は美緒と呼んでいた。本名はもちろん別にあったが、本名を知った後でも美緒と呼んでいた。
あたしたちは、ここの世界でしか通用しないハンドルネームでお互いを呼び合っていた。ここにいる全てのひとたちがそうやっているように。
美緒と知り合ったのはもうずいぶん前だった。おそらく7年とか、8年とか、そういう長いつきあいだった。たった7、8年、と思う人もいるかもしれない。だけど、ハンドルネームを呼び合う関係で、そんなに長く同じ人と関わりあい続ける相手なんて、実際にはそんなにいない。
実際に会ったことも、電話で話したこともない。毎日関わっていた時期もあったし、そうじゃない時期のほうが圧倒的に長かった。最後のほうは半年に一回程度、ラインやスカイプチャットで声がかかってくる程度の付き合いだった。声をかけてくるのは、ほとんど美緒の方からだった。
美緒が声をかけてきてくれなかったら、あっさりあたしたちの縁は切れていた。
それくらい細くて、危うい関係性だった。

ともだちって、いえるのかな。年賀状だけの関係で友達だって呼べている学生時代の同級生もいるのだから、「ともだち」と呼んでもいいのかもしれない。
2月21日に、久しぶりに美緒から声がかかった。最近あたしがLINEをはじめたので、そこから声をかけてきた。話の内容はたわいもないものだった。おいしいチーズケーキをみつけたとか、そんな感じだった。あたしはゲーム中だったので、2,3言簡単に返信をしただけだった。

そして、その5日後、美緒は帰らぬ人となった。

美緒のお姉さんという人から、美緒のLINEで声がかかった。最近のLINEの履歴から声をかけてくれたんだと思った。
「妹は亡くなりました。今夜が通夜になります」

理由を聞いた。だって数日前は元気そうにチーズケーキの話をしていたのだ。なんらかの事故に巻き込まれたのだと思った。
「乳がんでした。そうとうしんどかったと思います」とお姉さんと名乗る人は言った。

親友と呼べるほどの関係でもなかった。ほんとうに忘れた頃に時々、声をかけてくる程度の友達だった。でも、そういう関係でも7年以上続いていたのだ。しばらく実感は沸かなかった。
だってあたしたちは”会ったことさえない”のだった。美緒はあたしにはよくしてくれたと思う。
頼んだわけでもないのに、あたしの趣味を聞いてくれて、趣味にあいそうな手作りストラップや指輪を送ってくれたこともあった。

cvBKY.jpg
(美緒から届いたストラップ画像)

突然実感が沸いたのは、そのことを共通の友人Bに話した事からだった。

美緒が死んで20日ほど経ったころ、Bからスカイプチャットで声がかかった。
Bも、時々思い出したように声をかけてくる「ともだち」の一人だった。
美緒と同時期に絡んでいたこともある共通の友人でもあった。そして、あたしと同じように美緒から時々声がかかってくる友人の一人だった。美緒が亡くなったことを伝えると、驚いている様子だった。

死者の思い出を共通の知人同士で語り合うために、葬儀や通夜や法事といった儀式があるのだとしたら、あの夜はまさにそんな感じだった。
あたしたちは美緒の葬式もお通夜も行けなかったけど、同じ時期におなじものを聞いて、笑ったり喧嘩したりしながらある同じ時間を過ごしていた者同士だった。

「美緒が●●を泣かしたことあったなぁ」
「美緒はオンナノコしてる子がダメだったからね」
「むかつくんだろうねw」
「思ったこと、ずけずけ言っちゃうとこもあったけど、正直者だったよね」
「俺、自分が余命短いって時に普通の会話できるかな。自信ないな」
「そういうの、見せないでいられるのって、強さだよね」
「美緒 えらかったなぁ」
「えらいなぁ・・・」
「最後に声かかったとき、俺美緒に言われたんだよね。●●って私のこと全然好きじゃないよねってw」
「かまってちゃんか!」

「・・・もう 美緒から声かかること、ないんだな」

Bがそう言ったとき、涙がこぼれた。美緒のために泣けるほど、あたしは美緒を大事にはしてこなかったのに。


そのときの感情を説明するのは難しい。喪失感なのか後悔なのか悔しさなのか、その全てでもあるような気がするし、全部違うような気もする。

「こはるは、声かけて来ないよなぁ」
「・・・そうやなぁ・・・・」

つながり続けること。それをやってくれたから、あたしは美緒の死を知ることができた。
話しかける理由がなければ声をかけることもできなかったあたしにはできなかったこと。
とくになにもなくても声をかけたり、元気?とか最近どう?とかそれだけでもいい。
そういうことを面倒がらずにやれること。それってすごいことなんだなって思った。

「今度はあたしから声かけるよ」
とあたしはBに約束した。

半年後くらいには。 ・・・たぶん。


かかわってきたすべてのひとたちが幸せであってくれたらいいと思う。
普段声かけてなくても、ツイッターのTMで幸せそうなら、それでいい。
ほんとうに、そう思ってるんです。

家族がいてもひとりぼっちのひとはいるし、誰もいない部屋で一人PCに向かっている人でもひとりぼっちではないひともいる。

半年後でも3年後でも、声がかかれば、昨日あった友人のように普通に話せる。
そういう人たちがまだまだここにはたくさんいるのだ。



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