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「妥協しない、強い人間に憧れる。」


ある友人の言葉です。



なにものにも揺るがない強い心に憧れて

そしてそれを手に入れようとして

でもやっぱりうまくいかなくて

そういう彼の姿を遠くからみてた



変わってしまう自分に

流されてしまう自分に

そういう強さを持ってない自分に

はがゆさと焦りを感じながらも

でもどうしていいのか分からずに今も立ちすくんでる。


 うわべだけじゃなく心の奥から変わりたい

 人を想い続ける強い意志が欲しい


彼は以前そう日記に書きました。




あたしは



精神的に強くてなにものにも揺るがない人間が

必ずしも精神的に優れているというわけではない

と思ってる。



人は変わります。状況も、こころも。

絶えずいつも変化の途中にあります。

そしてその狭間にあっても

「怒り」「憎しみ」「妬み」「寂しさ」そして

「喜び」「希望」「楽しさ」といった

さまざまな感情はいつも心のどこかを支配している。

汚い感情を見ないようにするのは簡単だし、

もっと別の見目のいい別物にすりかえようと

ごまかすことだって出来る。だけど



寂しさの中から見えて来るものもあります。

妬み、憎しみから気付けることもあります。

こころはどんなに鍛えても決して強くはなれない。

何度辛い思いを味わっても、何度悲しい気持ちが

襲ってきても、それを防御する術さえなく

たちまち感情に支配されてうちひしがれてしまう。

そんなとき心はキュっと固くしぼむ。

その痛みのあまり顔を上げることさえできなくなる。

今まで当然できていた日常生活さえ出来なくなって

自分が一体今までどんな風に過ごしていたのかさえ

見失ってしまう時もある。



でもね、そんな時

痛みを感じないようにこころを閉ざしてしまったら

決して見ることができないものがあります。

たとえば



自分の周りにいる愛してくれる人たちの存在。

自分の犯した過ち。そして償うべき人たちの存在。

そしてなによりも自分自身のこころのある場所を。




「こころを変えない」

もし、自分の中でそう決めてしまったら

全ての感情から目をそらして生きなきゃならない。


こころを変えないために

例えば新しい出会いに臆病になったり

それによって生まれるはずの感情からも

目をそらしてしまう


そして

一度固くなってしぼんだこころには

どんなに声を荒げても届かない。


だから周りの人間にしてみれば

やるせない。辛い。諦めたくなる。



あたしたちはたえまない流れの途中にいます。

はるかかなたより

ただDNAを運ぶ船だけの役割だとしても

この肉体にこころを持って生きている以上

その流れに逆らうことは出来ません。

変わらない、変えられないと思ってる人は

時々できる「たまり」の中で

ぐるぐる回る木の葉のように、

ひとときそこで滞留するけど


流れに押し出されない木の葉がないように

必ず動く日は来ます。必ず。




あたしは

強くて揺るぎない強い人間よりも

弱くて脆くて惨めでも一生懸命悩んで生きている

人の方がずっと人間的に好感を持てます。


色んな喪失を知って、色んな哀しみも知って

その中でも前向きに笑ってる人が好きです。

憧れを常に抱きながら、叶わない思いに葛藤してる

弱い人が好きです。



こころは

鍛えても強くはなれません。

だけど

苦しみを知って

哀しみを知って

切なさややりきれなさを知って

惨めな自分を知って

狡い自分を知って

絶望をしてとことん落ち込んで


そうして


そうしたからこそ

他人に優しくもなれる。

同じように惨めな気持ちになってる人を

思いやることができる。

狡いことをした人を

赦せるようになる。


そう思います。


あたしは

自分の狡さを知ってる。

自分の犯した罪を知ってる。

償うべき人を


知ってる。




そして



そんな自分をそれでも愛してくれて

赦してくれて

側にいてくれる人を、友人たちを

知っています。


それに気付けたってこと、

それらはすべて

閉ざしたこころの中からは

きっと見えなかったものたち。



強くなるって

そういうことだと思うのです。

ジャンプしていた

落ちながら


・・・あれ

なんで俺

飛びこんだんだろうな

落ちるって分かってるのに



空が

空があまりにも青くて


飛べるような気がしたんだ





君が微笑むから





初めてあめふりろぼっとに逢ったのは小学校4年の時、
学校の帰り道だった。
その日は雨で、一月の冷たい雨で、
商店街を抜けた路地の入り口で
コンクリートの塀の端っこで首をうなだれるようにして
あめふりろぼっとは座っていた。その様子は
まるで濡れそぼった捨てられた犬のようで
誰にも気付かれたくないような、でも、誰かに気付いて
欲しいような、悲しい光が目の奥に宿っていた。
「あめふりろぼっと」というのはあたしが勝手に付けた名前だ。
だって、雨降りの日に逢ったロボットだから。
そのまんまだよね(笑)

そのまま見過ごして帰ろうかと思ったけど
スナオ虫が耳元で「ちょっとおもしろそう」って
呟くのが聞こえたんだよね、その声を無視することが
出来なくて、うなだれているロボットの目の奥を
じっと見つめてみた。あたしがしゃがみこむと、ちょうど
あめふりろぼっとの顔を覗き込むような形になったから
きっとあたしと同じくらいの身長だなと思った。
そんなに怖くは無かったよ。
だって、あめふりろぼっとの目はとても優しそうだったから。

最初の問いは覚えてない。
「どこから来たの?」だったかも「あなたはだぁれ?」
だったのかもしれない。だけど、あたしが問いかけたことで
あめふりろぼっとが少しだけ動いたのを覚えてる。
長い長い冬眠のまどろみの中から、ふいに揺り起こされたような
一体何がおこったんだろうというような感じで。
首をちょっとかしげて、ゆっくりと顔を持ち上げた。
あめふりろぼっとのカラダは、ディープブルーの絵の具で3歳児が
ぐちゃぐちゃに塗りつぶしたおもちゃが長い長い時間雨ざらしのうちに
色あせてしまったような青で、ところどころ錆び付いていて、
それはそれはお世辞にもキレイとはいえない青だったけど、
あたしにはそれがまっさらな青色に見えて、悪くなかった。
ぅん、そう。生物が死んで、肉体が風化されてカラカラの骨になったような感じ。
肉体は汚くて臭くて嫌味たらしくて嫌いだ。でも骨になってしまうとまっさらな
白で、そこには愛憎や欲やどろどろした感情なんかもう無くなって
ただうつろに軽く、失ってしまった肉体をいとおしむように、ただ哀しげに
ひっそりと存在している。そういう骨のケナゲさが好きだ、と思う同じ気持ちで
あめふりろぼっとに好感を持ったんだ。あの時はうまく説明できなかったけれど。

長い長い時間、今思えばそれは数分の出来事だったかもしれないけれど
あめふりろぼっとはその空ろな目であたしをじっと見ていた。
ううん。見ていたのかな?本当はわかんないや。あたしを通して、あたしじゃない
誰かを見ていたのかもしれない。たとえばスナオ虫を。そんな風に感じた。
あたしは自分のさしていた傘をあめふりろぼっとに差しかけてみた。
ロボットが風邪を引くことがあるのかな?わかんないけど、その時は
そうすることがいいような気がしたんだ。
「どうもありがとうね」ではなく「これはなんだろう」という風にあめふりろぼっとは
あたしのさし掛けた傘を少しだけ見て、また視線を戻した。だけど
あめふりろぼっとは、あめふりなんて気にしていない様子だった。むしろ
降り注ぐ雨の中にいたいのではないか、と思った。
「なんだコイツ、なんもしゃべんないじゃん。ささ、帰って早くおやつ食べようぜ」という
スナオ虫の声が聞こえる。あたしはそれを無視して、ただそこに座っていた。

そのうち、ただ座っているだけの状態に飽きてきた。
あたしにだっていろいろとやることはあるからね。
それにもう「ゆうやけこやけ」の時間。早く帰らないとママに怒られちゃう。

「じゃぁ、またね」あたしはそういうと、あめふりろぼっとに手を振った。
「じゃぁ、またね」それはまたいつか会える呪文。翌日も、その翌日も
あめふりろぼっとはそこにはいなかったけど、あたしはきっといつかまた会えるって
思ってたんだ。そうだね、きっと・・・雨が降れば。
だけどその日から、なかなか雨は降ってくれたなかったんだ。

「雨だ」その日あたしは布団から飛び起きた。雨の匂い。
鼻につーんとくる、アスファルトに叩き付けられた雨粒が立ち上ってくる、
あるときには草いきれの中から匂いたつ土のような、あの雨の匂いだ。
あたしは昔から雨には敏感だった。
あめふりを待っている間感じたことがある。いつもは晴れた日の方が
ダントツに多いんだってこと。ママは洗濯物が乾かないって文句言うけど
数え切れない晴れの日に感謝しなさい。こんな雨の日にはね。
そういうと「何よ、えらそうね」と言ってママは笑った。
ママが笑ってくれるとあたしも春先のリスのように嬉しくなる。

喜び勇んで学校へ向かう。いつもより30分も早い。
ゆうみちゃんといつも待ち合わせてる「タナカ木材店」の三叉路。
そこに行くまでにあめふりろぼっとに会わなくてはいけない。
だけどだけどだけど、あめふりろぼっとはあの場所にいなかった。
ガーン。ガーン。
もう、ショックのあまり口もきけなくって、いつも声かけてくれる
マスダのおじちゃんにも「おはようございまーす」が言えなくて、
「タナカ木材店」の前でゆうみちゃんを待つ間もずっと
うつむいて、もうコノヨノオワリみたいな顔をしてた(らしい)
ゆうみちゃんがそう言ったんだ。「コノヨノオワリみたいな顔してるね」って。
その時は意味がよく分からなかった。ゆうみちゃんはいつもいっぱい本を
読んでいるから、ゆうみちゃんとお話をするのはいつも楽しくてすきだけど
時々訳の分からないことをいってあたしを苛立たせる。
黙っているあたしを気にしているのかそうじゃないのか、ゆうみちゃんは
独り言のようにこんなことを言った。
「5年になったらりゅうせいくんと同じクラスになれるかなぁ・・」

ゆうみちゃんはりゅうせいくんのことが好きだ。
あたしとりゅうせいくんが同じクラスなので、ゆうみちゃんは休み時間になると
遊びに来る。ゆうみちゃんがりゅうせいくんのことをしょっちゅう目で追ってて
そのたびにあわてたり赤くなったりするのを見ているのがすきだった。
かわいいなぁって思うし、好きって感情がまだよく分からないあたしにも
少しの恋の切なさみたいなものを与えてくれる。だけど
あたしはりゅうせいくんが嫌いだった。ゆうみちゃんの前では言えなかったけど。

りゅうせいくんは、日直のあたしが黒板を消しているとき
決まって横から落書きをしてくる。何度「やめて」って言ってもやめない。
あたしが好きなアイドルの話をしていても「けっ、趣味わりぃの」って
憎まれ口を言う。作文の発表の時、緊張してみんなの前で発表してる時、
「何いってるかわかりませーん」と横で言ってみんなをどっと笑わせた。
あたしにとっては自慢の出来だと思った作文だったのに。
胸の奥のほうから空気の塊が昇ってきて、息が詰まって苦しくて
目の奥が熱くなって、泣きそうになるのを我慢するのがせいいっぱいだった。
あたしが好きだというものをぜんぶ、けなされて、拒否されて、傷付いた。
すごく、すごく傷付いた。
そんな風に人を傷つけるりゅうせいくんが、あたしは嫌いだった。

朝から降り出した雨は、給食の時間になっても降り続いていた。
カミナリさまがきっと雨のスイッチを入れたまま、居眠りしているんだと思った。
下校時間になるころには雨足も一層強くなっていた。
「起きて!起きて!カミナリさま。もうそろそろスイッチ切ってもいいんじゃないの?
雨の在庫、なくなっちゃうよ?」
その日もりゅうせいくんから髪の毛を引っ張られて、お気に入りのヘアゴムの
うさちゃんが取れちゃって哀しい気分になった。
あんなに待ち望んだ雨だったのにね、雨降りが嫌いになりそうだ。
傘を差して雨の中を歩き出すと、途端に強い雨粒が傘を激しく叩いて来る。
長靴をはいていても、後ろから水が入ってくるような気がして気持ち悪い。
朝、ウキウキした気分でお気に入りのソックスをはいてきたのを後悔した。
もっと小さい頃は長靴をはいて水たまりで遊ぶのが好きだったのに。
朝はあんなに雨の日を楽しむ気分でいっぱいだったのに。
あの気持ちは一体どこへ行ってしまうんだろう。
スナオ虫は出てこない。ほんっとにもう、気まぐれなんだから。
こんなときこそ、慰めなさいよね。
ゆううつな気分で商店街を抜ける。路地が見えてくる。
そして「・・・いた」

そこには、あめふりろぼっとがいた。


あめふりろぼっとは、コンクリート塀の、同じ場所で、やはり同じように
座っていた。だけど、今日は少し元気そうに見えた。目の中でちろちろと
ほのかな光がちらついている。
「また、会ったね」今度はあめふりろぼっとのほうから話しかけてきた。
声はしずかで、ひくく、雨音に消されてしまいそうなくらい控えめだったけど
あたしにはちゃんと聞こえた。
「うん」とあたしは言う。
「すまなかったね。せんじつは・・・・ちょっとびっくりしたんだ」
あめふりろぼっとはそう言った。せんじつ、の意味がすぐに呑み込めなくて
ただオウム返しのように「びっくりしたの?」の聞いていた。
「そう」
そういったまま、あめふりろぼっとは静かにあたしを見た。
目は、相変わらず優しげだった。
「もう、なんねんも、誰ともおしゃべりしてなかったからね。ことばをうまく出せなかったんだ」
誰とも話せないということが、どんなに辛いことなのか、あたしにも分かる。
風邪引いて一日声が出ないだけでも、すっごく辛かったもん。
「また、きみにあえてよかった。次に会ったら謝ろうと思ってたんだ」
「雨が降ったら、また会えそうな気がしていた」とあたしは言った。そうだね、というふうに
あめふりろぼっとは笑ってうなずいた。それであたしたちは友達になれた。

あめふりろぼっとに会えるのは雨の日だった。それも夕暮れが間近な時間帯しか
あめふりろぼっとを見ることはできなかった。なぜだろう?雨の朝、あめふりろぼっとは
確かにそこにいたのに、あたしが気付かずに通りすぎていたんだ。
「きみがこっちをみて、そして通り過ぎたからきっと怒ってるんだと思った」と
あめふりろぼっとは言った。
「どうして見えないのかなぁ?」
「よのなかには、見えているものの方がめずらしいからね」
あめふりろぼっとは当然のことのようにそう言う。そうかもしれないと思った。
虹が七色に見えるのは日本人だけだとママが教えてくれた。
同じ場所で同じものを見ていても、その人によって見え方は違うんだろう、きっと。
スナオ虫はどう思っただろう?
意見を聞きたかったけど、かんじんな時に出てきてくれない。

「解決できないことは、とりあえず箱の中にいれておくといいよ」
あめふりろぼっとはそう言った。「解決できないことのほうがだんぜんに多いからね」

あめふりろぼっとは、あたしの師匠だった。あめふりろぼっとが見えなくなってからもずっと
彼の言葉はあたしの中で息づいていた。彼がしゃべる、低くてしずかな声は
あたしの中からずっと消えることはなかった。
あたしの中には、解決できないまま箱に入ったものたちが今もまだたくさんある。
でも、きっとそういうものだと思えた。それがあたしが生きていくってことなんだと。

学校で、あめふりろぼっとの話をしても、誰も信じてくれなかった。
ゆうみちゃんだけが「あたしも会ってみたいな」と言ってくれたけど、
それも本当に信じてくれていたかどうか分からない。
だから、あめふりろぼっとの事は誰にも話さなくなった。
りゅうせいくんなんか「おい見ろ、マツコが壊れたぞ!」と大声でからかったりした。
マツコというあだ名はりゅうせいくんがつけたものだ。他にはだれもあたしのことを
「マツコ」などと呼ばない。あたしの名前は「マツモト リコ」上と下をくっつけた
だけの安易なあだ名で呼ぶ同級生を、あたしはにらみつけて無言の抵抗を
示すくらいしか出来なかった。

「なによ、マツコって、古臭い名前」
あたしが怒ってそう言うと、あめふりろぼっとは「そう?」と首をかしげた。
「ステキだとおもうけど」
「えーーどこがーー?!」スナオ虫がいたら一緒に「ゲー!」って
言ってくれるのにな。そういえば、スナオ虫はどこへ行ったんだろう。



(昨日からなにげに書き始めた物語。続き、また書いたらUPします)

思い出はときおりにわか雨のようにやってきて

濡れたアスファルトのように心を黒く染める。

だけど過去に捉われ傷付いているなんて

不毛だ。無意味だ。滑稽だ。



過去は変えられない。ただじっとそこにある。

死んだ人はずっと死んだままだし

去った恋人は戻っては来ない

後悔は過去を取り戻すための悪あがきの

ようなもの。心を掻き乱すだけで出口は無い。




古いアルバムをそっと取り出して眺めるように

そんな風に過去が存在していたらいい。

まだアルバムにおさめることが出来ない過去も

無理やりそこへ押し込めて、表紙を閉じるんだ。



失ったものは、もう二度と失うことはできないのだから

ある意味安心していられる。一度失ってしまったものが

それ以上の喪失をもたらすことはない。

もうこれ以上傷付くことはない。だから大丈夫。



あとは時々襲ってくる心の痛みをやり過ごす方法を

考えればいい。襲って来そうになったら

意識の奥ふかくへとゆっくり、ゆっくり沈めて

ゆっくり、ゆっくりたがやしていけばいい。

そうしているうちに、わからなくなる。

あれほどあたしを支配していた

深い喪失感も、そのうち感じなくなる。





昨夜チャット中に友人が語った内容。

彼はまだ去年別れた女性のことを想っている。

その彼女からメールが来た。「元気?」とかいう

たわいないものだ。でも彼は返信しなかった。

彼女と別れてからまだ新しい恋をしていない彼にとっては

何の躊躇もいらないような気がするけど

「またずるずると同じ事を繰り返すようで、それが嫌だった」

と彼は言った。いつも辛口でふざけたことばかり言ってる

友人だけど、そのストイックさにちょっと脱帽。


 かっこいいよ、たっちん!!111
        (と、たまには褒めておくw)




信念を貫くのは強い意志が必要だし、孤独だ。

だけどそれを長く続けていると、そのうち孤独にも

慣れてしまい、やがて寂しいとも思わなくなる。

親密な関わり合いを煩わしく感じるようになる。

でも、また恋はしてもらいたいと思う。

恋に限らず、人を成長させるのは、やっぱり人との

つながりの中にあると思う。その中でも、自分以外の

他者と最も深く関わって行くのが恋愛だと思うから。

まだ若いんだし、独身なんだから、どんどん恋も

しちゃってください。いらん世話だってまた言われそうだけどw



恋しているといいことばかりじゃないけれど

深い哀しみも喜びも、胸を焦がすような切なさも

それらを相手とのかかわりの中で見ることで

見えてくるもの、得るものがある。絶対に。



誰かを深く思いやること

愛すること

与えること

じっと、耐えること



心の色を上塗りしていくたびに

その瞳の奥の色もふかくなっていく





::::::::::

「いのちの根」



なみだをこらえて

かなしみにたえるとき



ぐちをいわずに

くるしみにたえるとき



いいわけをしないで

だまって批判にたえるとき



いかりをおさえて

じっと屈辱にたえるとき



あなたの眼のいろが

ふかくなり



いのちの根が

ふかくなる




::::::::::::



流されて生きるのも幸せな選択かもしれない

だけどプライドを持って孤高に生きている姿は

周りに何らかの作用を与える。



人の心を動かすものは、きっとそういう力。

見えないけど、強い力。












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✞トラネス✞ (04/24, 22:03)
たっちん、株あがったよねw昨日はw






こはる◕‿◕❀ (04/24, 23:51)
次は下げとこう・・・




あきひと (04/24, 22:16)
読みました。思い出は美しくなるから(*´・д・)(・д・’*)ネー♪






こはる◕‿◕❀ (04/24, 23:51)
だねーーー




こっこ (04/24, 22:34)
ウンウン(*´ェ`*)人と人の、つながりの中で色んなコトや想いとか
積み重ねて行くんだよね。






こはる◕‿◕❀ (04/24, 23:52)
゚.+:。(*-ω-)(-ω-*)゚.+:。ウンウン
出会いは大事にしたいねー




野ウサにP♡ (04/24, 23:49)
いつまでも傷として残しておくのか、今の自分を自分たらしめているひとつの思い出とするのか、思いようなんだョネ。
でもね、恋はね~σうさゎメンドクセーって感じ∑(ノ∀`)日ごろ人とのつながりを深めていかなきゃって言ってるくせに( ・_ゝ・)(・c_・` )ナーw
なんか、リアルで恋ってできなくなっちゃった
それは臆病になっているだけなのかもしれないけれど、なんだか心が動かない
ま、σうさゎ恋なんてしなくても生きていけるって思ってるし(なんか投げやりに聴こえるけどそうじゃないからネw)そのための武装もしています(。◕ˇ艸◕)ププッ 






こはる◕‿◕❀ (04/24, 23:52)
たっちんと、どうや?






野ウサにP♡ (04/24, 23:59)
( ゚∀゚)・∵. ウサッ!!
たしかに~性格良いし~って、σうさ男やんΣ( ̄ロ ̄lll)






こはる◕‿◕❀ (04/25, 01:11)
∑(゚ω゚ノ)ノ キュ!!!この期におよんでっ






野ウサにP♡ (04/25, 18:38)
Σ( ̄ロ ̄lll)よく考えたら、たっちん女だからいいのか?でも、主婦だしナー∑(ノ∀`)ペチッ






こはる◕‿◕❀ (04/26, 07:40)
いろんな意味でミラクルな2人ですよね!




mahiro (04/24, 23:50)
やさしさだなー。男らしぃ。






こはる◕‿◕❀ (04/24, 23:52)
んだ!惚れそうになった!(嘘)




なおき✥ (04/25, 07:11)
ハンゲも心を動かします。┏○ペコ






こはる◕‿◕❀ (04/25, 07:26)
最近何をして遊んでるの?誘ってやー




❀恋雪❀ (04/26, 08:05)
最近 歳のせいか(笑)
ある意味 孤高にプライドをもって生きなくても(なんていうか・・弱いかもダケド キモチのままに自然にしていても)
神様が すべて決めてくださっている気がしてきちゃうの・・。
つまり 「成る様に成る成れるようになる」 って 心境かもしれないわぁ・・(;´▽`A``






こはる◕‿◕❀ (04/26, 16:42)
まるくなっちゃぅよねぇ。。。
プライドとかも、なんか突っ張ってたのが
バカらしく思えたりね。ありのままに、
なされるままに、自分らしく、肩肘はらずに
生きていけるようになるのかも。
こゆちゃん、悟ってるなーー




⊹⊱✞ヵヴ寿✞⊰⊹ (04/26, 09:10)
恋は人を成長させるんだね(◡‿◡*)❤






こはる◕‿◕❀ (04/26, 16:43)
うん(〃∇〃) 絶対そーよ




どら (04/27, 09:11)
恋したいなーー
貰ったものは、返そう、(≡^∇^≡)ニャハハ






こはるё (04/27, 17:13)
にゃははw




腸胃悪主婦 (04/28, 16:18)
オイラ(・∀・)カコイイ!!






こはる (04/29, 11:11)
はぃはぃ・・




この映画を観て、すぐ感想を書こうと思ったのだけれど
うまく自分の中でまとめることができずにいた。
どうすればこの作品の良さを伝えることが出来るのだろう、と。
しばらく寝かせておく熟成作業は必要だったのかもと思う。
まぁまだ時期が来ていない感もあるけれど。

舞台はフィンランド。小林聡美演じる主人公が
フィンランドで日本料理店を経営する中で、そこで
出会い、触れ合う人々との日常を描いたもの。
まず、このタイトルの「かもめ食堂」という名前の
イメージで、薄汚れた店を想像していたのだけれど
映画に描かれていた「かもめ食堂」はとってもおしゃれな
お店でした。ガラス張りの明るい店内。こだわりで
揃えられた小物たち。コーヒーメーカーから立ち上る
コーヒーの香りが感じられる優雅な時間。
好きなモノたちに囲まれて過ごす毎日は幸せだろう。
けれど、背景に流れる優雅さとは打って変わって
かもめ食堂にはお客さんがさっぱり来ません。
記念すべき最初のお客さんは貧乏学生で、
毎日タダでコーヒーだけを飲みに来ます。
だけど、主人公の彼女は前向きで明るい。そして
どんな人にでも誠意を持って応対します。人は自分に
利益をもたらす人は大事にするけれど、そうじゃない人
にはぞんざいな態度を取ったり軽くあしらったりするもの
じゃないですか?でも彼女は違うんです。
その彼女のキャラクターがこの映画全体に流れる雰囲気
というもの作り上げています。

店はさっぱり繁盛しなかったけれど、彼女の周りには
吸い寄せられるようにあらゆる人たちが集まってくる。
みんな、ココロのどこかに痛みを抱えていて、休息や
癒しを求めている。みんなが道に迷っているけれど
彼女がそれについて助言したりということはない。
だけど、彼女のそばにいるとほっとする。落ち着ける。
だからみんな、ここがずっと自分のいる場所じゃないと
分かっていながら、どうにも離れることができずにいる。

以前読んだ本の中にこういう言葉があった。
「目の前にいる人を最愛の人だと思いなさい」
自分に好意を寄せてくれる人を、人は嫌いにはなれない。
どうにかして、何らかの形で、返そうとする。
赤ちゃんが笑えばついつられて微笑んでいるように。
笑顔は伝染するって思う。

いつでも彼女は自分らしさを失わない。
それは強くなければ出来ないことだと思う。
自立できていない人間が他人に何かを与えることは出来ない。
一人で立つことが出来て初めて、人は人に優しくなれる。
この映画の中で不思議だったのが、主人公以外の
人々の苦悩や葛藤は垣間見ることが出来るのに、
一番肝心な彼女のそれが見えてこない。
彼女の嗜好や、好きなものはたくさん見えてくるのに。

客が来ないことへの不安や、悩みもあっただろう。
だけど、彼女はいつも”彼女らしく”存在しているだけだ
ただそこに。
映画のラストでは「かもめ食堂」はたくさんのお客様で
にぎわう大人気の店になる。だけど、彼女はどんな状況に
置かれても、きっとそのまま変わらないんだろうな、そう思った。

願わくば
そういう人にあたしもなりたいって思う。
大きな流れの中で、自分を見失わずに生きていくことは
ほんとうに難しいものだから。

決して派手なシーンや緊張する場面は出てこないけど
観終わったあと、ココロがほんわかとなる映画でした。
薦めてくれた友人に感謝。

  過去と他者は変えられない

  変えることが出来るのは

  未来と自分だけだ



どこかのテキストサイトで目にした言葉。

本当にそのとおりだと思う。


だけど、人は

他者を変えようとする

過去起こった出来事を修正したいと願う

だから無理が出てくる。焦燥や葛藤が生まれる。

そんなこと、できるはずもないのに。



「あのとき、こうしていればよかった」

なんて思いながら過去に生きているのなんて

きっと耐えられないし、自分らしく生きれない。

一瞬の思い出にすがって、生きていく気持ちも

今なら理解できるけれど・・・



過去はあまりにも静かすぎて、波風ひとつ立たない。

動かない。だから例えようもなく寂しくなる。

過去はどんなに美しくても、これからの自分に何も

与えてはくれない。もう何一つとして。

それが分かっていてもすがってしまう。なんて愚かなんだろう、人は。



そう、もっともっと昔は、未来は輝いてた。

この先に何が起こるのだろうと

考えただけでドキドキした。

過去はまだ少なく、すがる思い出も何一つなかった。



だけど気がつけば

いつの間にか未来より過去のほうが光を放ってる。

過去の自分ほど、未来の自分が輝いているなんて

思えなくなってることに気付く。



もう、ワクワクする未来が自分を待っているなんて

思えない、どうしても。

あたしはすでに、次の舟へ何か大事なものを渡してしまった。

希望とか、未来とか、憧れとか、夢とか

そう呼ばれるようなものをすべて。



はるか太古の彼方からずっと乗り継いできた舟に

小さい子供たちを乗せてしまうと、大人たちはそこから

降りる決断を迫られる。舟には乗れる人数が決まっていて

誰かが降りないと沈没してしまう。ある一定の年齢に

達すると、そういうことが自然と見えてくる。

これはもう決定的に身体で感じる。もちろん舟から降りても

あたしたちの人生は続いていく。舟が転覆しないだろうかと

ハラハラ見守りながら、弱々しく岸辺から手を振ったりもする。


まぁそれも気楽な人生なのだろうけれど

その先には決して行けない。



自分本位に生きられるのは若い者だけの特権だ。

そのうち嫌でも生きられなくなる。自分以外の他者、

子供や恋人や、家族などのために自分を殺さなくては

ならない、そういう日がやってくる。

それを成熟と見るか、退行と見るかでずいぶん心持ちも

変わってくるものだけど。



「未来は変えれる」確かにその通り。だけど、

過去が重く、深くなっていくたびに変えるのが怖くなる。

大きな変化が怖くなる。

変える為に動かす力を出すために何かを捨てなくてはいけないから。

過去の産物はあまりにも重く、肩にずっしりとのしかかってる.

降ろせば楽になれるだろうと思っていてもなかなか降ろせない。




ずっと、心に残ってるセリフがある。

ムーミンに出てくるスナフキンの言葉だけど

何気なく目にした日から、ずっとずっと心にささくれのような

ものを残してる。普段は忘れていても、時々ふとした

拍子に引っかかって立ち止まる。そんな感じ。


 「ものは自分の物にしたとたんに、

 あらゆるめんどうが降りかかってくるものさ。

 管理したり、移動させたり。

 ぼくはいつだって見るだけにしている。

 そのほうが重い荷物をウンウンいいながら運ぶより

 ずっと楽だからね」



欲しくても手に入れない。

そんな生き方が出来る人間は強い。

自由であるということは孤独なものだし、

そのための強さが必要になってくる。

他者に依存しながら、自由でいられるなんて思ってたら

大きな大間違いだ。



だから多くの人が自由と引き換えに他者と共存

あるいは他者に依存(あるいはその両方を)することを選ぶ。

重い荷物をひとつづつ背負っていく。

手に入れてしまえば、それに対する責任も出てくる。


そしていつの間にか、あらゆるものを背負ってしまっている

未来さえも動かせないくらい窮屈になってしまう。

変えるための力さえ、奮い起こせないほどそれは重い。



だから、たとえ馬鹿げた約束でも

未来の約束が一つあればそれで救われる。

未来を、動かす約束が。


刹那の自己満足だと思われようとも。



---------------------------------------------------




こはるё (04/27, 20:32)
てか、イミフな日記だよね!
読んだけど自分でも判んない( ̄m ̄〃)




✞トラネス✞ (04/27, 21:52)
読んだ・・・(´。`;)
今日の日記は体力使ったw

未来になにかしらの希望があれば、強く生きられるんだよね。過去が、その動力源になればいいんだけどな。






こはる (04/27, 22:34)
おちゅかれのところ疲れさせちゃってごめんなさい!
書くのも体力使っちゃったよ(ノᆸ`✰)ペチ




満ちていく月 (04/27, 23:36)
今アタシに足りないのは、 たぶん、「月」を未来へと動かしていくチカラ…。

うん…。






こはる (04/28, 01:02)
動き出してみようよ。。




ひろ☆彡 (04/28, 07:54)
子ども心に スナフキンがかっこよくみえたのは 子どもの話の中に一人大人な台詞とか みてるこっちを諭されてるような そんな雰囲気あったからかなぁ
朝から脳みそ使った。。w
まだ動いてないケドw






こはる (04/28, 14:51)
スナフキン魅惑キャラだよねっ!
どうしてあんなにストイックでいられるんだろう
どうしてあんなに自分を持っていられるんだろう
あのアニメの中から強さを教わった気がするなー




ɛ⊱綺☣‿◡♡羅⊰ɜ (04/28, 13:24)
ずしぃぃぃ~ん・・・・読んでて
ずしぃぃぃ~~~んって考えながら読み返しましたん・・
たくさんの過去を捨てた私にはなんていっていいか・・・
ただただ今を大切にしていくことしか
考えてない綺羅でつ・・・






こはる (04/28, 14:52)
そうだね~^^きらちゃん。今を大切にしていこー
それが過去を含めた自分を大事にすることにも
つながると思うから。後悔や反省は過去から学ぶけど
それが現在に生かせていればいいじゃんっ!






ɛ⊱綺☣‿◡♡羅⊰ɜ (04/28, 14:58)
いぇっさぁ~(。◠‿◠。)ニコニコ




やきにくたろう (04/28, 22:53)
なんでもそうかもしれないけど、
どこで折り合いをつけるか、なんだろうね。
だから、どっちにしたって悩むものなのかも。
悩まない人が羨ましくもあり、
疎ましくもあり、だよ。






こはる (04/28, 22:57)
゚.+:。(*-ω-)(-ω-*)゚.+:。ウンウン
皆人知れず悩んでいるのかな・・
悩んでなさそーなヒトも結構多いけどね
(='m') ウププ




なちお (04/28, 23:52)
ゴメン、途中で読むの断念したw
過去ってさあ・・・
未来の自分を作るためにあるんだと思うよ。
失敗してきたことも、よかったことも。
それぞれが「経験」となって未来に生かされるんだと思う。
わしって、なんか変www






こはる (04/29, 11:08)
クマになってる・・・・www
なちおの今までの積み重ねも決して
無駄じゃなかったよね。未来に向かって
走るのだーー




なおき✥ (04/29, 09:58)
久しぶりに長い日記キタ ━━━ヽ(´益`)ノ ━━━!!
過去を消したいーって思った事は沢山あるけど、その過去があるから今の自分があるし 「これで、いいのだ~!」と思う今日この頃。。。今が楽しいから。。。






こはる (04/29, 11:09)
きゃーーー読んでくれてありがとーー
うんうん^^後悔することもあるけど、
結局これでよかったんだーって最後に思えたらいいんだよね!




どら (04/29, 11:07)
読みふけってしまった。いろんな思いがあってむずかしいなー
確かに少年のころ未来は輝いていたけど、いまは老後を考えるし、(*≧m≦*)ププッ
自分が変われば人も変わるし、過去は解釈を変えることで変わるし。
過去の失敗や成功を見直すことで未来が変わるからなー
すべてつながっているんだよねーー







こはる (04/29, 11:09)
どらの少年時代・・・・どんなだろう( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
未来はいつだって輝いていたいね




あきひと (04/29, 14:17)
読みました。難解な日記ですねww、若者に未来があるから希望があると思います。
大人は現実というものがわかり自分の身の丈もわかってしまうし、でもその中でも出来る事をみつけて楽しくいきたいですね






こはる (04/29, 14:35)
うんw大人だからこそ楽しめるって遊びもあるしねっ
(*^m^*) ムフッ






「差別や偏見のない世界。そんなものは想像の産物

でしかない。人間というのは、そういうものとも

付き合っていかなきゃならない生き物なんだ」


兄が強盗殺人を犯して服役している主人公の直貴の

この最後の台詞。あたしはこの小説の意図するところは

直貴にこの台詞を言わせるためにあったんだろうと思う。

主人公の、長い長い葛藤と苦悩に満ちた人生。

罪を犯すということ。罪を償うということ。

加害者と被害者の家族、その逃れられない苦悩。

過ちは悔いても悔いてもどんなに深く謝罪しても

拭えない、消えないってこと。



そして・・・・


赦すということ。








たくさんの手紙を弟に書き綴った兄剛志が、最後に書いた手紙。

それは弟に向けられたものではなかったけれど、

直貴が剛志に最後に送った手紙と、そして兄が書いた最後の手紙。

その中で分かってしまった、決定的にもう取り返す術のない

尊い時間たちが胸を締め付ける切ない作品でした。

愛すべき家族を選び取ることができない、

捨てることしかできない、

そういうことが起こり得るんだってこと。

罪を犯すというのはそういうことなんだってこと。

本当の意味で償うっていうのが、どんなものかってこと。

正々堂々と生きて行きながら、差別を受けることを

受け入れないといけないっていう過酷な現実。

逃げずに正直に生きて行くことが正しいとは限らないってこと。

だけど、忘れられない、忘れてはいけない人たちのこと。





読み終えた時、涙が止まりませんでした。

あたしたちはこの法治国家で生きていて、普段は犯罪などとは

無関係に生活しているけど、犯罪を犯すということが

どれだけ周りの人間を傷付けてしまうものなのかを

改めて思い知らされたような気がします。



映画公開されたら観に行こうと思います。

そして、子どもたちにもこの思いを伝えて行きたいと思います。

冷たくなった頬を

何度も何度も触って

そこに命がないのを確かめた


納骨の日は

雨だった


濡れそぼった坊さんの袈裟の色や

墓石に流れる雨粒のひとつひとつを

今もまだ鮮明に覚えてる


哀しみは薄れたように見えても

時々激しく襲ってくる

波のように


どんなに悲惨なニュースが流れても

これ以上の哀しみなど無いと思えるのに

よく見れば世間のニュースは

やはりそれ以上の絶望に満ち満ちていて


自分の不幸の上に

他人の不幸を塗り重ねながら

ただ、波が遠ざかるのを待つ

それが一種の救いのようでもあり



あの大津波に

何もかも持って行かれ

愛するものを失った漁師は

それでも海を毎日見ていた

ただ、ただ、寂しそうな目で


激しい怒りはそこにはない

ただ、深い鎮魂が、祈りがあるだけだ

全てを奪った魔物だと知りながら

海を見つめるその眼の色は静かだ



命の根を

絶やさないように

深く、深く地中の中に伸びていけるように

じっと、黙って耐えている


きっと

数え切れないほどの人がそうしてる

この小さな国のあちらこちらで





そんな秋の始まり


田舎の同級生が自殺しました。
もう、1年になりますが、時々まだ心のあわ立ちを
押さえ込むことが出来なくなります。

同級生といっても、全校生徒100名にも満たない小さな
小学校でしたので、クラスメイト全員が幼馴染のような
ものです。
彼はあたしの初恋の相手でした。
小学校4年から中学を卒業するまでの間、ずっと
片思いでした。思いを告げることも無く、ただ遠くから
見つめているだけの淡い恋でした。

先日、帰省した際に、彼の生家にお線香をあげに
行きました。幼かった頃、彼の姿を一目見たくて
訪れていた家に、初めて足を踏み入れました。
娘を連れて行くと、お姉さんが「小さい頃の●●ちゃんに
そっくりや~」と言ってくれました。
彼のお母さんや、お姉さんと、昔話をしているのが
なんだか不思議なことのようでした。
多分、彼の死がなければ一生話すことも無かったでしょう。

高校を卒業して、何度かみんなで遊んだけど、もうずっと
何年も会っていなかった。お互い結婚し、子供を授かり
幸せな人生を送っているものとばかり思ってた。

一緒にお線香を上げにいった友人が、彼の書いた手紙を
持って来ていました。読ませてもらったら、あたしの名前も
そこに書いてあって、高校を卒業して、慣れない地で働き
始めた生活の中で、こうやって同級生と繋がりを持てている
のが嬉しいと書かれていました。

彼の家を後にすると、8月の太陽が容赦なく降り注いでいた。
去年の夏の終わりも、きっとこんな暑い日だっただろう。

彼が首を吊っていたという雑木林をあたしは知らない。
最後の瞬間に一体そこで何を考え、一線を越えてしまったのか
その絶望の深さを想像することさえ出来ません。
木にくくり付けたロープの白い輪っかの先に見えたのは
恐怖だったんだろうか、それとも安らぎだったんだろうか。
親や妻や子を残し、それでも旅立たねばならなかったのだろうか。
発見された時、足と地面の間にはわずか数センチの隙間しか無く
遠目で見たら首を吊ってたようには見えなかったという。
触れられそうで、触れられない、その数センチの空白が
彼を永遠に届かない場所へ連れ去った。

哀しいことがあったら、空に向かって大きなマルを描いてね。
その輪っかの中に哀しみをぜんぶぜんぶ送り込んでやるの。
そうすると、ほら、ちょっとだけ気分が楽になるのよ。

たった一言でいい。その時の彼にそう伝えてあげたかった。
例えそれが無駄なことだと知っていても。
空のきれっぱしを、その瞳の中へ映してあげたかった。


ご冥福をお祈りいたします。


「また課金した」


なんていう話をすると決まって言われる言葉。
「形の無いものにお金を費やすなんてもったいない」



ただ、あたしは実体験から学んだことがあった。
母が死んで、実家の整理をしていたら
出てくるわ出てくるわかつて母の持ち物だった品々。
実家の押入れの7割り程を占めていた品物が
全て母親のものだった。よそ行きなどの服や
着物などの一部を残し全て処分したら、ずいぶん
タンスの中がすっきりしたものだ。
思い出の品や、一部手放せないものもあるだろう。
だけど、着る人がいなくなってしまえば、ほとんどの
衣服はただの廃棄物となるしかない。
なぜなら、所有者以外にその物に対しての思いいれ
など、見出せるはずもないからだ。



そういう経緯があって、
あたしは今回の引越しの際、かなりの物を捨てた。
まだ全然着られる洋服もたくさんあった。
だけど、生活をする上で、人はそれほど多くの物を
必要としない。買うときは一瞬の満足感を覚えたし
その時は欲しかったものだけど、実際には着ない服
なんかもたくさんあった。もったいないと思いながら
捨てれずにいたものを今回思い切って捨てることが
出来たのも、母の死で学んだ事の一つかもしれない。
物を捨ててしまうとすっきりした。家の中が整然と片付くし
欲しいものがすぐ見つかる。埋もれたままで、探すのも
億劫だったものが再び光の元に出てきたという感じ。


そう、どんなに集めていても、形に見えるものは何一つ
あの世には持っていけない。そして、それを失ってしまう
ことなんて、本当に一瞬の出来事なんだ。
死や、あるいは災害によって、
人はあっけなくそれを失ってしまうものだから。



母が生前集めたものは薄情な娘の手によってあっけなく廃棄され
全て残らなかった。だけど、残ったものも確かにある。
それは、あたしや、弟たちや、父の心の中に
いつまでも生き生きと輝き続ける。
母がかつて確かに存在し、あたしたちとかかわり、
そして与えてくれたもの。それはずっとこれからも残るだろう。
あたしたちが存在している限り、ずっと。



実際今は、リアルの服の数倍のお金を課金に使ってるけど
その時の楽しい時間のためにお金を払っていると思えば
もったいないという感じにはなれないかな。
ブランドのバッグが買えるじゃん、と人に言われても
別にそんなもの欲しくもないしねw
いつかは、そういうことにもすっかり飽きて
「やっぱりもったいなかったなぁ」と思うのかもしれない。
でも、その時楽しかったんだから、いいんです、はい。
でもまぁ、はたから見たら、
旦那がパチンコに費やしてるお金を「もったいない」とあたしが
思うようなものなんだろう。彼は彼なりに資金を投入して
ハラハラドキドキする高揚感をお金を出して買っている
んだろう・・・・(と思うことにする。)時々勝ったとしても結局
おいしいもの食べに行ったりして消えてしまうので
残らないものだしね。ある意味似たもの夫婦w





原田宗典の「しょうがない人」という本を今読んでるんだけど
その中に「メロンを買いに」という項目がある。
貧乏学生だった頃、食べたいと思っても手が届かなかった
マスクメロンに対する思いいれのようなものを綴った文章だが
共感できる部分も多かったので「うんうん」と頷きながら
読んでしまった。

メロンを買う、という行為。
実際大人になってみると、それはそれほど難しいことではない。
自由になるお金が1万もあれば十分だ。だけど、メロンを買う
なんて、普段はなかなか実行に移せない。
明らかに他の果物とは一線を画しているマスクメロン。
木箱に納められ、一番高い位置に飾るように置かれている王様。
子供の頃、おねだりしてもなかなか買ってもらえなかったメロン。
だけど、いつしか大人になり、いつの間にか私たちのポケットの中には
すでにメロンが入っていたのに、それに気付かずに日常を過ごしていた。
そう、その気になりさえすれば、それはいつでも取り出すことができるのだ。
あとは右手で取るか左手で取るか、という方法論を考えるだけでいい。
著者は身重の奥さんが呟いた「・・メロンが食べたい」という一言で
メロンを買いに行こうと決心する。まぁ、それがなかなかスムーズに行かない
ところがこの本の面白いところでもあるのだけれどwそこは割愛しておきます。


どうでもいいが、今年の夏はまだスイカを食べてないなーw
今はメロンよりスイカが食べたいですww




追記:
以前、母の死について書いた日記にとても暖かいコメントをいただきました。
どんな言葉でお返ししても、この気持ちを表せそうもありません。
本当にありがとうございました。






なにか、決定的なものが
損なわれてしまった気がする

東北地方代震災の一週間後、
母が死にました
最初のうちはは泣き暮らしたけれど
普通の生活が戻るにつれ
だんだん涙を流す時間も減って行きました。
あれからまだ2ヶ月ですが、この2ヶ月間
本当に長かった
凝縮された時間の中で生きていました。

最近とくに思い出す小説のシーンがあって
(特に母が死ぬ直前に読んでいたからかもしれないけれど)
「ダンス・ダンス・ダンス」(著:村上春樹)
の中で、片腕の詩人「ディック・ノース」が交通事故で
死んだ後、その恋人だった写真家の「アメ」が
一ヵ月経っても茫然自失な状態で暮らしてるとき
主人公との会話中に「こんなはずじゃなかった」と
アメが呟くシーン。

「忘れやすいタイプの女だし、忘れられやすいタイプの男」
だと主人公も思っていた。きっとこの女性は片腕の詩人の
ことなんかすぐに忘れて自分の趣味(写真)のほうに没頭して
しまうだろうと思ってた。だけど、実際はそうじゃなかった。
「死んだ後のほうが存在感がある」と主人公はディックについて語る。
生きているときは、毎日をつましく周りの人の生活をこまごまと
手助けしながらひっそりと生きている人物が、失われたとたんに
残された人たちにその存在の大きさを実感させる。
いつもいると思って当然だった人が、突然居なくなった時の喪失感は
身近にいる人にしか決して理解できないのだろう。
そういう感情は理解できる。精神的な支えも確かに必要だとは思うけど
物質的な手助けや、身の回りの世話をしてくれた人の喪失は
その後の自分の生活に大きく関わってくるものだから、一層なのだと思う。

だけど、実際あたしが感じている喪失感は
ちょっと違うような気がする。母は割りとこまごまと動き回る人だったので
いろんな人の世話を焼いていたから、そういう人たちにとってはまた違った
哀しみがあるのだとは思うけれど。
「だんだん悲しみは減って行った」なんて言うと
薄情な娘だと思われるかもしれない。あたしはアメと一緒で
きっと「忘れやすいタイプの女」なんだと思う。
哀しみも、喜びも、怒りも。ありとあらゆる感情が長続きしない。
実際の生活が多忙だったこともあり、母に手を合わせていない朝が
あることに気付いたりする。だけど、そういう生活とは別に
あたしは自分の中から何か決定的なものが損なわれてしまったと
いう感情が消えない。既に失われてしまったものだから、それが
何だったのか思い出せないような、そんな感じ。

あたしは、あたしを探しています。あれからずっと。
失われてしまった自分自身を。
だけど人は、自分探しのために砂漠には行かないんです。
砂漠に行った人間は、自分を見失いたいから行くんです。
ずっと昔から、きっとそうなんです。
だからあたしはここにいることしかできないんです。
ここで、探しながら、生きて行く事しか。

あたしがかつて確かに感じていた、
怒りや、喜びや、哀しさ、愛さえも
今はあたしの中のどこにも見つかりません。
寂しいと思うことも
夕暮れの空を見て切なくなることも、
きれいな景色を誰かと分かち合いたいと思うことも
道端の草花を写真に撮ることもなくなりました。
記憶力や、日常のちょっとしたこと
(スケジュールの確認や簡単な計算など)
もうまく出来ないことさえあります。
なのに、ある場面では誰も記憶にとどめていないような
事を鮮明に思い出したりします。
思考回路が混乱している気がします。
発作的に身の回りのものを捨てたくなってます。
(実際捨ててます。自分のものだけじゃなく、
母の衣類やバッグも全て捨てました。否、母のものを
捨てたことで自分の物も捨てたくなった気がする。
どんなにたくさんあってもそれを着る人がいなければ
無駄だと知ったし、物に対してどんなに思い入れがあっても
その感情は自分だけのもので、当人が死んでしまえば誰も気付かない。
そしてそれはある日突然やってくるものだから)

こんな状態で誰かの気持ちを慮ったり、思いやったりする
余裕はありません。だから、きっと傷つけてしまっている
人がいると思います。

今、あたしという容器の中はからっぽです。
ふたを開けてみても「なんだ、からっぽか」と幻滅されるのが
怖くて、人と深く関わることができません。
そして、こういう状態がいつまで続くのか想像できません。
あるいはずっとこのままかもしれないし、
あるいは明日にでもすっかり元通りかもしれない。
そういうものは本人を含め、誰にだって分からないし
変えようと思っても変えられるものではないものだと思うのです。
そしてそれは、死んだ人を悲しむ気持ちとは別個のもので
時間が解決してくれるタイプの感情ではないような気がするのです。

「死んだ人はずっと死んだままだから
それについて急いで思い悩んだりする必要は無い」
と村上春樹も言ってます。
 もっと早く倒れているのに気付いてあげればよかった。
 もっと親孝行をしたかった。
 もっと話しておきたかった。話したいことがあった。
 孫の制服姿を見せてあげたかった。
だけどいくら後悔したってもう遅いしどうにもなりません。
そしてそれは時間と共に風化していくタイプの哀しみです。
母の死自体はそうやって乗り越えることが出来るかもしれない。
だけど、今からっぽだと感じている自分を
何で満たせばいいのかという恐れは
乗り越えられるタイプのものかどうか想像もできません。

かつて好きだった恋人を失った時
あたしの中で大事に育てていた一輪の花を失いました。
その時もあらゆる感情が一時的にストップしたけれど
「寂しい、哀しい、誰かに助けて欲しい」
と思う感情までは消えなかった。
だけど、今回は全てが消えました。そしてそれが
母の死によってもたらされたものかどうかも分かりません。
決定的に損なわれたものの正体が何なのかも分かりません。
失ったものが何だかも分からずそのために悔やむくらいならいっそ
損なわれてしまったことさえ気付かなければいいのにと思います。

そうなれば、きっと楽になれると思う
でもそうなるとそれはきっとヒトとしての機能を失った
「何ものか」になるしかないんでしょうね。

それはきっと人が鳥になりたいと願うようなもの。
ふと昔読んだ詩の一部を思い出しました(うろおぼえ)

「鳥は空がどうして青いかを知らない
だから、空は鳥のものなのだ」

翼を持たないあたしたちには
空の青さを説明するだけの知識が与えられた
空を自由に飛ぶ鳥を見て、幸せそうだとヒトは言う
だけど、鳥は幸せなど感じたりしない

幸せはヒトの心の中にある
心の中にしか存在できないのだったら
目に見えるものをかき集めることにどんな意味があるんだろう



ものをすっかり捨ててしまってから思ったこと。
これからは、
 消えてしまうもの
 残らないもの
 かさばらないもの
に、お金を使いたいと思います
 食べるもの
 誰かにあげるもの
 データ系
はいいね。うん。
見えないものでも、心の充実は図れるし
自分がいなくなった後、自分の物を処分する人間の
手間も省けます。
「死んだ後残るのは、集めたものではなく
人に与えたものである」と何かで読んだっけ。
実際溜め込んだものたちは残された人の手によって
全て処分されました。
だけど、決して消えないものもあります。
そう、たしかに。




日にちが経つにつれ、大地震の被害の大きさが
徐々に伝わってくるようになりました。
地震当日は夕方のテレビの情報を見て、被害者60名余り
などと出ていましたので、大きな地震の割には被害が少ない
のかな?と割と楽観的に考えていました。
某サイトにおけるイベントを敢えて強行したのも、
その辺りの楽観視によるものが大きく、今考えれば
数ヶ月延ばしてでも延期したほうが良かったのかもしれません。
それによって、不快感を抱かせてしまった方々には心よりお詫び
いたします。私の軽率な判断でお心を傷つけてしまったこと、
大変申し訳ありませんでした。

普段テレビ等全く見ない私でも、ここ数日間はテレビのニュース
映像などを見て、被害状況などを把握するようにしています。
色んなブログや、ツイッターなどのページも見てみました。
皆一様に自分に出来ることは無いかと考えてます。
救援物資を送りたいのに、行政の許可が出ないからと
受け付けてもらえない。現場はあんなに物資が足りないと言っている
のにもかかわらず・・・そんな怒りの声も聞こえてきます。
「パチンコ屋は営業をやめろ、電気の無駄使いだ」とブログのコメントで
怒ってる人もいました。だけど、パチンコ屋だって従業員を食べさせて
行かなくてはいけないんです。震災被害者の痛みを考えていたって
営業をしないわけには行かないでしょう?企業だって、余分な看板の
電気を消して運営するとか、自社で出来ることはやってます。
誰かを責めたくなる気持ちは分かりますが、回りに不満をぶつけるより
今自分に出来ることを考えて行動して欲しいです。

私が勤めている会社はパチンコ屋ではありませんが、同じ風俗営業法
の管轄下にあるサービス企業です。
社長も、従業員も今自分に何が出来るかを一生懸命に考えて
話し合っています。とりあえず、店内の拾得金数万円といくらかを足して
寄付金とすることを決めました。寄付金も、民間団体ですとどのように
使われているのか分からないという実態もあるそうです。
例えば有名人にしたって、黒●●子さんは自分の取り分は取らず全て
寄付するが、●●ネス・チャンは寄付金のうち25%をマージンとして受け取って
いるという話を聞きました。情報が真実かどうかは分かりませんが、
寄付したお金がちゃんと困っている人たちへ反映されて欲しいと願うのは
誰もが同じ気持ちだと思います。
私は経理事務なので会社の実態も分かってます。もうここ数年ずっと
赤字が続いていて、大変厳しい状態です。そんな企業だって、この事態に
何とか力になりたいと考えてる。

電力の制限にしたって、国民は理解してます。24時間電気も水道もガス
も無く暮らしている人がいるのですから、一日の数時間くらい我慢したっていい。
それなのに経済産業省の会見で「朝の忙しい時間に電気を止められて、
死ねっていうんですか?」と食ってかかっていた記者のモラルの無さに唖然としました。
記者の質問が、そのまま国民の声だとは思って欲しくないと思いました。
今、被災者のために自分に出来ることなど限られています。
だけど、国民の一人一人が今自分に出来ることを考えて行動することが
今は大事な時期だと思います。

自分は安全な場所に居て、溺れかけている人に「がんばれ」と言っている。
偽善?大いに結構じゃないですか。
何もしないで誰かを責めている人よりはずっとマシです。

私が運営するサイト「nico*list」のぷちカンパ収入の全額を
東日本大地震被災者救援金として寄付することにしました。
寄付先団体については現在情報を集めながら検討中です。
決まりましたらサイトにてお知らせいたします。
カンパしてくださった方には何卒ご理解いただけますようお願いいたします。

http://nicotto.cokoa.net/

おかあさん
おかあさん

しみひとつなく
きれいなカラダで産んでくれたのに

名前に「美しい」という字を入れてくれたのに

ごめんなさい
美しく生きれなかった

かぜのないよる

しずかなよるに

てにいれたものと

てばなしたものたちのことをかんがえる


だいじなものをてにいれるためには

なにかひとつてばなさなきゃならないのよ

とおかあさんはいった


とてもかなしそうにいったので

きっとなくしたもののことをかんがえて

いるんだろうなとおもった

だって てにいれたもののことは

とてもたのしくおもいだせるはずだから

伝えるすべがないと

きみが言う

どんな言葉を並べても

届かないという


かっこわるくなれなきゃ

真実は伝わらない

相手がどう思うか

ではなく



人魚姫には声がなかったから

伝えたくても伝えられなかった

きみには声があるのに




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